白馬便り 平成31年1月5日

朝から雪がチラチラ降っていて、優しい天候です。
7時に朝食、皆元気に顔を出しました。
朝食の内容はロールパン2個、スクランブルエッグ、ウインナー、サラダ、
オレンジジュース、ヤクルトでした。
ほとんどの子が食べられましたが、スクランブルエッグを残している子が6人くらいいたので、
卵がどれだけ栄養があるか話して聞かせて食べさせました。

8時半にミーティアを出発し、ゲレンデに8時45分頃に到着しました。
例年通りゲストハウスには「虹の子クラブ」の指定席を40人分以上用意して頂いており、
水筒を置いてトイレに行って準備をした後、リフトが動くのを待ち、
子どもたちはインストラクターについてスキーに出発しました。
私はそのままゲストハウスで1月4日の課外活動記を書き始めました。
10時半頃に続々と水分補給、トイレで戻ってきました。
そのまま昼食(カレーライス)になりました。
美味しいカレーでしたがおかわりをする子どもが少なく、以前よりも食が細くなったことを感じます。
休息をとってから皆出発しましたが、その中で一人、昨晩3回嘔吐した児童が、
「疲れて眠い」とそのままテーブルに伏して眠ってしまい、
声をかけても起きないのでそのまま休ませることにしました。
実はその子は年末にインフルエンザにかかり、医師からは大丈夫だと判断されて参加したのですが、
体調がまだ戻っていないようでした。そのまま夕方帰るまでスヤスヤと眠り続け、起きてからは元気になり安心しました。

3時半頃インストラクターの福原さん(岩手にも同行)から
「O君が滑って転んで足が動かせないと泣いているので、ゲレンデから救急搬送してもらい病院に行きます」と連絡が入り、
急いで横で寝ているY君の見守りを宮崎先生と交代して、
福原先生に同行していた雲走先生に連絡をし、他の子どもの管理と無理せず下山することを指示しました。
中級のクラスでしたが、五竜まで行ったようで、その後他の子どもたちは先生と共に無事に帰ってきました。
私は二つのリフトを行ったり来たりと福原さんとO君を探しまわりましたが見当たらず困惑していたら、
福原さんの奥様から電話があり「今病院に行っているので、迎えに行きます」とのことで、乗せて頂いて病院に行きました。
福原さんの奥様はミーティアで食事の準備を手伝ってくださっていますが、
それ以前からの長いお付き合いで、そんな方々が居てこその“白馬ミーティア”です。
白馬にある病院で他にも3~4人患者が居て、私が着いた時はちょうどO君がレントゲン室に向かうところでした。
レントゲン技師さんから「折れています」と言われ、そのまますぐにギプスをし、その後診察をしてもらいました。
骨折がわかってからはすぐにお父様に携帯で知らせました。
離れている保護者は心配することが当然で、命に係わることではなく結果がすぐにわかることであればと思い、
正確な情報をきちんと早く伝えるようにしました。
ミーティアに帰ってからはトイレのある部屋に変更して、男性職員2人が看護にあたり、一晩中2人が付き添いました。
一晩中「痛い痛い」と泣いていてかわいそうでしたが、
「朝になればまた病院に行こう」となだめ、「明日になればお家に帰れるからね」となぐさめ続けました。

夕方皆も無事に帰ってきて、O君のケガは皆ショックだったようです。
子どもたちの話を聞くと、このグループはいさかいが絶えず、
福原さんに注意され続けていての事故であったこと、
転んだのは何人もいたけれど運が悪く彼だけは転び方が悪くて骨折してしまった事を報告され、
状況が理解でき、O君のお父様にもお伝えしました。
お父様も「他の人を傷つけなくて良かった」と安心されていました。

その日の晩の食事は、ライス、コーンスープ、魚の煮込み、ローストポークでした。
全員お腹が空いていたいたらしく、何時もより良く食べていました。

その晩のミーティングでは一番に、事故の反省です。
・スキーをしている時はケンカをしないようにする
・先生方が看護で大変なので手を煩わせないように協力しあう
翌日については、O君のケガにショックを受けたようで、
「明日はスキーではなく雪遊びの方が良い」と言う子も多かったので、二手に分かれて遊ぶことにしました。

この日はバタバタし、私も子どもたちと動けないので、温泉は中止にし、
全員ミーティアのお風呂に入りました。
明日は帰るので、帰り支度をしておくように伝えましたが、
消灯までにぎやかでした。

米田記