タイの洞窟から救出された子ども達

まず『このニュースを知ってる?』
と 興味を持たせる為 子ども達に聞いてみました。

結果 1/4くらいの子しか知らないことに驚きました。

13人の少年達。
18日間どう生き抜いたか?

を みんなで意見を出し合い 考えさせました。

まず 水。
天井から垂れてくる清潔な水を飲むこと。

洞窟の水は汚れていて
菌も多く病気になり死に至ります。

食べ物は?

コウモリを焼いて食べた~とか
虫を取って食べた~とか 意見が出ましたが
火もなく無理なっことを教えました。

実際は スナック菓子を持参していたので
それをみんなで分けて食べたことを知っている子が
学童の中で1名いました。

スナック菓子が役に立つことも
大きな知識になりました。

そして 洞窟の長さは?

発見されたのは『5キロ!!』
~と 知っている子が大勢いました。

さて 5キロとはどれくらいの長さか?

学童に大きなメジャーはないので
紙のテープで一番長い室内の対角線を測り
それを10mのメジャーで計ったら6.5mありました。
全て 子ども達のまで職員がやってみせました。

そして5キロとは何倍になるのか?

5000m÷6.5m= ?

割り算はまだ習ってない~と
下級生の子達が言うと上級生が発言して教えてくれます。

『生きる力』とは
「このような理論の組み立てをして
考えていくことである」と 教えてたくて
子ども達に問いかけました。

少年たちが全員生存しているニュースには
感動の涙でした。

そして 今日 全員救出
(ダイバーの方は亡くなりましたが)のニュースで安堵しました。

世界中で忘れられない
助け合いの賜物の記録として残るでしょう。





<<参考>>
『タイ洞窟 少年らの行方不明から救出まで』

7/11(水) 12:26配信

サッカー・チーム所属の少年12人とコーチが6月23日、タイ北部の洞窟から出られなくなり、現地ではタイ海軍などが必死の捜索と救出作業を進めてきた。世界中の注目を集めたこの救出作戦は10日、最後の少年グループとコーチが救い出されて終了した。一連の経緯を写真とともに振り返る。

サッカー・チーム「ムーパ(イノシシ)」に所属する少年12人が6月23日、チームの練習を終えた後、タイ北部チェンライ県のタムルアン洞窟に入った。少年たちには25歳のサッカーコーチが同行した。

約10キロの深さがあるこの洞窟は、現地では深いくぼみと狭い通路で知られていた。報道によるとこのチームは以前にも洞窟を訪れたことがあったが、今回は、豪雨により洞窟が浸水し、出入り口がふさがれてしまった。

少年たちは帰宅できなくなり、行方不明と報告されて捜索作業が始まった。

現地を訪れた最初の捜索部隊は、洞窟の入り口近くでチームの自転車、サッカーシューズや他の用具を発見したという。

報道陣やボランティアが現場に集まり始めたものの、豪雨は続き、捜索や救出作業は難しい状況が続いた。

24日には少年たちの家族が洞窟に到着。行方不明となった少年たちの無事を願い、祈りや寝ずの番を続けた。

3日後の26日にはタイ王国海軍のダイバーが到着し、現地の救出作業に加わった。

巨大な洞窟の中で、まだ新しい手形や足跡が見つかると、少年たちが安全に生存している期待が高まった。

政府の担当者も現場を訪れた。プラウィット・ウォンスワン副首相は、少年らが生きて発見されると期待していると述べた。

救出部隊は当時、別の捜索方法も検討していた。軍の部隊は洞窟への別の入り口を探し、山肌にドリルで穴を開けて洞窟に入れないかと考えた当局者もいた。

27日までに、ダイバーや救急救命の専門家が、救出活動を支援しようと世界中からタイに到着した。

近親者が現地で寝ずの番と祈りを続けるなか、16歳以下の少年たちの状態に懸念が高まった。気を失う家族や救助担当も相次ぎ、気象条件の悪化と共に、絶望感は深まった。

それでも少年たちは生きているとの望みを抱き、必死の捜索作業が続き、タイの国中が注目した。ソーシャルメディアの利用者は、行方不明となった13人を「今最も会いたい見知らぬ人」と呼び、救出作業が成功した様子を想像して描いた絵などを共有して少年たちに思いを捧げた。

排水によって洞窟内の水位を下げる助けになるようポンプの使用も試みられたが、振り続ける雨が、たびたび作業を中止に追い込んだ。

救助部隊は、少年たちが「パタヤ・ビーチ」として知られる洞窟内の空間にある岩山の上に逃れているのではないかと考え、希望をつないでいた。

プラユット・チャンオチャ首相は現地に少年たちの近親者を訪ね、慰めようとこんな言葉をかけた。「少年たちはアスリートだ。彼らは強い」。

世界中のメディアが現場に集まった。ぬかるんだ状況の中、最新の情報を聞き出すため、ジャーナリストたちは張り込みを続けた。

6月30日から7月1日にかけての週末には、雨も一時止み、ダイバーたちは以前よりも洞窟の深部にたどり着けるようになった。

救助部隊の前進に合わせ、物資や空気ボンベも洞窟内に運ばれた。

そして7月2日、劇的な情報がもたらされる。行方不明から9日後、ダイバーによって少年たち全員とコーチの生存が確認されたのだ。

少年たちは、洞窟の入り口から約4キロのところにある岩棚の上で発見された。

体調が悪くなさそうな少年たちの様子を映した動画が、タイ海軍特殊部隊によって公開された。ただ当局者は、救出作業は困難なままだと強調した。

救出部隊に危険が少ないと考える最良の方法で、少年たちに医療物資や食料が届けられた。

洞窟からは数千リットルもの水が排出されたが、雨季が全盛期となる中、当局者は少年たちが脱出のため潜水技術を習得しなければならないかもしれない、もしくは救出可能な状況になるまで数カ月待たなければならない、と伝えた。

現場を包んでいた明るい雰囲気はこの週末、救出作業にあたっていたダイバーの死により、劇的に沈んだ。

元タイ海軍潜水士で、ボランティアで洞窟での救出作戦に参加していたサマン・グナンさん(38)は、少年たちに空気ボンベを運ぶ任務を果たして戻ろうとしていたところ、酸素不足で意識を失い、そのまま命を落とした。

国の内外から大勢がグナンさんを追悼した。同時に、困難な救出作業への懸念が高まった。

タイ海軍の司令官は、洞窟内の酸素レベルの低下を警告した。一方で、チームの少年らとコーチが書いてダイバーに託したメモも公開された。

救出は雨との競争となり、当局者は少年たちの救出が成功すると考えられる「限られた」期限を設けた。

そして、状況が最適となった7月8日、「Dデイ(作戦開始日)」となったこの日に集中的な救出計画が始まった。

現場を去る救急車の姿が目撃され、救出作業がどうなっているのかについて臆測が高まった。最終的にこの日、少年4人が安全に救出されたと確認された。

当局者は計画が「円滑に」進んだと述べたが、空気ボンベの補充とダイバーの休息のため、作業は夜の間中断された。

計画は非常に複雑で、既に設置されたガイドロープを使った歩行、水路の横断、岩登り、ダイビングが含まれていた。

9日夜には、さらに少年4人が救出が確認された。

タイ政府は、助け出された少年の名前も含め、救出に関する情報を厳しく制限した。

救出された少年たちは、病院で診察を受けた。健康に危険が及ぶ可能性があり、病院を訪れた親との面会も制限されたという。

10日、全員の救出成功に対する期待が高まる中、洞窟内に残った5人を助け出す最後の作戦が始まった。

作業は10日を通じて行われ、最終的に13人全員の救出成功が当局者により確認されるまで続いた。

地下に17日間閉じ込められた少年たちグループの最後の4人とコーチが病院に搬送されると、現地にいた地元住民と救出部隊は喜びの声を上げた。

写真の著作権は全て権利者に帰属する。

(英語記事 In pictures: How the Thailand cave rescue unfolded)

(c) BBC News

出典:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180711-44789853-bbc-int